P-CAD の記憶

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P-CAD は、DOS ベースでは世界初の本格派 PCB-CAD システムとして、米国の Personal CAD Systems 社で開発されました。販売が開始されて間もなく PCB プロフェッショナル向けのDOS 版 CAD ツールとして、業界標準としての地位を獲得します。しかしその後、後発メーカとの競争や幾度もの企幾買収の洗礼を受け、現在では製品もその地位も当時の原型を留めないまでに変化してしまっています。

CAD Personal CAD Systems 社は創業後 10年くらいで IBM 社に買収されます。IBM 社はその後、P-CAD 部門を CADAM から分離し、Altium という IBM 傘下の電子系 CAD 専門子会社にビジネスを移管します。このときAltium には PowerPC(CPU)用ツールを開発していたCAD 部門も合流したようです。そしてその数年後、この P-CAD のビジネスと Altium のブランドは、ACCEL Technologies に買収されます。そしてさらにその数年後の2000年1月、ACCEL Technologies は Protel(現在のAltium)に買収されます。

この変遷の中で、P-CAD 製品が最も大きな影響を受けたのは、ACCEL Technologies が P-CAD を取得した時です。こともあろうに ACCEL Technologies は、当時 Tango の名前で販売していた自社の Windows PCB ツールの名前を P-CAD に変更ました。これにより名前は P-CAD で中身は Tango という新しい製品が誕生しました。そしてこの瞬間に、従来のP-CAD PCB ツールと Tango ブランドは CAD 市場から消滅しました。

ACCEL社としては単に、ブランドイメージの高い P-CAD の名前を付けたほうが良く売れるという判断をしたのだと思いますが、その結果が思惑通りなったかどうかは定かではありません。少なくとも日本国内では、P-CAD よりも Tango の方が有名でしたので、おそらく期待通りの結果にはならなかったように思います。

このような事情により、内容が全く異なる2種類のP-CADがありますので、混同しないように整理しておきます。

(1) 旧型の P-CAD
・ACCEL 社に買収される前
・Personal CAD Systems 社のオリジナル製品
・DOS 製品(Master Designer という名称が付けられていた )
・国内では兼松エレクトロニクスが国内代理店として販売

(2) 新型の P-CAD
・ACCEL 社に買収された後
・Tango 製品の名称変更
・Windoes 製品
・国内ではACCEL Japan が販売 (その後、国内販売はプロテル ジャパン → アルティウム ジャパンに移管)

この新旧の 2 つは、双方共まぎれもなく本物のP-CAD です。そして新型の P-CADこそが現存する唯一のP-CAD です。しかしここでは由緒正しい旧型の P-CAD 記憶を辿り、昔話を綴ることにします。

私が初めて P-CAD に出会ったのは、20年くらい前のことです。当時、浜松の楽器メーカで海外ベンチャー企業で開発された電子楽器のOEM 受託生産の仕事をしていました。この時、OEM 委託元の米国企業で開発に使用していたのが P-CAD です。この委託元企業に出張して、P-CAD の画面を見ながら設計変更の打ち合わせを行うこともたびたびありました。

このことで CAD の必要性を認識し、その後まもなく P-CAD の導入検討を始めました。当時日本では、SPI という会社が、P-CAD の販売をしていましたので、P-CAD のデータを持参しデモをしてもらいました。この時、ベタ塗り部分の修正手順を見せてもらいましたが、意外に手間取るような印象を受けました。たしか吉村さんという方に対応していただいたように記憶しています。古い昔のことですが、CAD は初体験の状態でしたのでわりと鮮明に記憶は残っています。

見積りを取ったところ、ハードウェアを含めたシステム一式で、200-300万円くらいだったと記憶しています。コンピュータはアルプス電気製の互換機をすすめられました。当時日本では、トムキャットコンピュータ (ケイプロ)や日本 IBM の漢字フォント内蔵(5550?)のものなどがありましたが、プラットフォームの選択肢は非常に少ない状況でした。また、当時のグラフィックスの標準は EGA であり、VGA が何十万円もしていたように記憶しています。

この導入検討の際に、いろいろとPCB-CADの勉強をさせてもらいましたが、結局は予算申請が通らず購入できませんでした。このようにP-CAD とのかかわりは、ユーザとして導入検討をすることから始まりました。

CAD を販売する側としての P-CAD とのかかわりは、テクスパート設立の1年後くらいからだったと記憶しています。

当時私たちは、自社で基板設計業務に使用していた PADS PCB の販売に加え、P-CAD の周辺ツールの販売を計画していました。この実現に向けて、国内代理店の兼松エレクトロニクス㈱、およびその代理店の㈱ファーストと㈱ライズコーポレーションの3社とコンタクトをはじめたことにより、再び P-CAD とのかかわりが始まりました。

P-CAD 関係者とコンタクトを始めてすぐに、販売戦略上の問題に気付きました。当時のP-CAD の販売戦略は競争相手である PADS に対してハンディを負うものであったように思います。

国内では AT 互換機ではなく NEC の PC98 シリーズ上で動作するバージョンのP-CAD が主力で販売されており、これに起因するいくつかの問題がありました。

まず AT 互換機と比べるとパワーが劣り、P-CAD プログラムのパフォーマンスを十分に引き出すことができない状態でした。特に表示速度の遅さは目を覆いたくなるほどのものでした。 さらに PC98 では、AT 互換機用として開発されたサードパーティーのP-CAD 周辺ツールが、全く使用できないことも大きな問題でした。

そして私たちはこの問題の解決にビジネスチャンスを見出し、P-CAD 代理店に対して商品の提供を開始しました。主なアイテムは、i486 CPU 搭載のAT互換機とELSA のグラフィック・アクセラレータです。AT 互換機は米国で組み立てテクスパートのブランドで販売しました。

この、ELSA のアクセラレータの効果はすざましく、表示が15倍くらい高速になりました。またSpeed Draw というユーティリティにより、詳細な表示条件の設定が可能になりました。これとコンピュータ本体による速度の改善とあわせると、PC98 ベースのものに対して40倍程度高速化されたことになります。あまりにも良くできているので尋ねたところ、ELSA ではボードの開発に P-CAD を使用しており、社内用としてこのアクセラレータを開発したとのことでした。

このことにより、最も遅いCADという評価を受けていたP-CAD が最も早い CAD に生まれ変わりました。うらを返せば、もともと高速なCADツールが日本向けに低速に仕立て直されていたと言えるのかもしれません。

一方米国本国ではどうかというと、これもあまり芳しいようすではありませんでした。現実を見てみると、IBM による買収のあと創業者の Richard Nedbal は退職し、Advanced CAM Technologies 社(ACT)を設立しています。この ACT で最初に開発された E-CAM の中身を覗いてみるとP-CAD との共通点がいくつか見受けられます。グラフィックドライバーはP-CAD と同じものが使用されており、このようなところからもP-CAD の開発スタッフが流出しているようすが伺えます。

このためかどうかは分りませんがIBM による買収以降、開発が停滞ぎみであったのは事実です。中でも致命的なのは、データベースサイズの32ビット化が大幅に遅れたことだと思います。これは、ピン間 3本の配線には必須の条件ですが、この実現がPADSより大幅に遅れました。ちょうどPADS のWindows への移行が完了したころに、ようやくP-CAD が DOS 製品のまま32ビットになったように記憶しています。

このころ、ことあるごとに海外の関係者に P-CAD をどう思うか聞いてみましたが、P-CAD はよい製品だが古い(It’s a good product, But old )という、なんとなく気の無い答えが返ってこることが多かったように記憶しています。業界全体として P-CAD への期待や関心が薄れてきており、すでに 過去の製品であるととらえられているような印象でした。

このように全般的には、大きな期待ができる状況ではありませんでしたが、私たちが提供したAT互換の P-CAD プラットフォームは、主に既存のP-CAD ユーザ様方にご好評をいただくことができました。

その後しばらくして、P-CAD が ACCEL 社に買収され、DOS 版の P-CAD ビジネスは消滅します。短い期間でしたが、このP-CAD のプラットフォーム・ビジネスを通じて、その後の CAD ビジネスに必要な、貴重な知識や人脈を得ることができました。

Tango の記憶

投稿日: カテゴリー: CAD

ACCEL Technologies 社の Tango CAD ツールは、1985年ころに Protel から OEM 供給を受けることにより販売が開始されました。このころ、米国のエンジニアの机の上にこのTango のパッケージが置かれているのを良く見かけました。安い価格設定(たぶん995ドル)により、すぐに売れ始めたのではないかと思います。

米国で販売が開始されてから、数年の間は日本に販売代理店がなく、個人輸入の形で日本に入ってきています。京都の京都の(有)明光電子もこのようなユーザの一社で早くからTango を使い始めており、日本に代理店ができるころにはすでに多くのフットプリントライブラリが蓄積されていました。

この間、ACCEL Technologies 社は日本Tango 製品を販売すろためのパートナーを探していました。当時のテクスパートにも代理店をやらないかというアプローチがありましたが、結局、1991年ごろソーテック(工人舎事業部)が総代理店にきまりました。ソーテックは OrCAD の国内販売チャンネルが現地法人化(インテリジェントシステムズ・ジャパン)されたことにより、OrCADとの代理店契約が終了しその代替として、急きょこのTango に移行しました。この時のソーテックにとって Tango は渡りに船の存在だったのではないかと思います。

この時すでに Tango ツールは Protel の OEM ではなく、SeriesⅡという ACCEL Technologies 自社開発の製品に移行していました。Tango ツールの日本への本格上陸はこのバージョンの回路図エディタとPCBツールから始まりました。

この時のソーテック戦略は、PC 98 への移植とプログラムの日本語化により、OrCAD の日本語版として OrCAD ユーザからの乗換えを狙うというものでした。当時ソーテックは5年以上も続いたOrCAD の代理店契約が終了した直後でしたので、アクティブなOrCAD ユーザのリストをたっぷり保有していました。このためこの戦略は非常に的を得たものでした。私が前に在籍していた楽器会社でも、ソーテックからダイレクトメールを受け取り、即座に購入したようです。しかし、ほとんどのOrCAD SDT ユーザは Tango SCH を購入した後もOrCAD SDT を使い続けたようです。おそらくOrCAD の日本語版とはいうものの、OrCADの代用には機能不足だったのではないかと思います。しかし、OrCAD の機能にこだわらないユーザやPCBのウェイトが高いユーザにとって、Tango は実用的な製品であり最適な選択肢であったと思います。

この PCB の販売促進のためソーテックは、前記の Tango 個人輸入ユーザ(有)明光電子から、PCB ライブラリの供給を受け、Tango オプションライブラリとして販売しました。これより数年後のことになりますが、テクスパートでもこの(有)明光電子から、これを拡張した Protel バージョンのライブラリを購入し、Advanced PCB 用としてTechLib-PCB enhanced の名称で販売しました。

当時の価格は、Tango SCH が150,000円くらいで PCB が598,000円だったと記憶しています。当時、OrCAD PCB は実用レベルには達しているとはいい難い製品でしたので、Tango PCB はソーテックにとって非常に販売しやすい製品だったと思います。

このように、当時の Tango は 国内のPC ベースの CAD 市場では優位なポジションにあり、この状況は、Protel が Windows で攻勢をかけてくるまで変わりませんでした。

一方、このころ開発元 ACCEL Technologies と Protel との関係は最悪の状態だったようです。Tango の新バージョンは自社開発ということになっていましたが、Protel サイドとしては、OEM 供給された製品がリバースエンジニアリングされ、取引が一方的に中止されたということで怒り心頭のようでした。事実 Protel Autotrax と Tango PCB SeriesⅡ の間には、ベタ塗り機能以外に大きな違いがなく、どちらかが真似をしたとしか見えないものでした。

(この時からの怨念が作用したのかどうかはわかりませんが、この約10年後に ACCEL Tecnologies は Protel に買収されます)

そうこうしている間に Windows 時代が到来し、Protel との競争が始まります。

1992年ころ米国のトレードショーに出向いた時、Tango の Windows PCB ツールが展示されており、リリース間近のようすが伺えました。この時デモに用いられていた PCB のサンプルファイルは、Protel のWindows 版のデモに用いられていた円形基板とそっくりのものでした。一瞬、また Protel からの OEM が開始されたのかと思いましたがそうではありませんでした。この時すでに、Protel for Windows がリリースされていましたので、単なる後追いのようにしか見えませんでした。しかし当時 Protel は米国での実績がほとんどありませんでしたので、Protel for Windows の出鼻をくじくにはこれで十分だったのかも知れません。

日本では、1993年(1994年だったかも知れません)にTango Windows PCB ツールがリリースされたように記憶しています。この時すでに Protel for Windows は 第二世代の製品に切り替わるころであり、製品の改良がかなりすすんでいました。また積極的な宣伝広告によって知名度も上がっていました。このため、Tango のWindows PCB はリリース早々 Protel for Windows との競争にさらされることになりました。

Tango Windows PCB ツールはリリースの時点で、Protel に対してつぎのようなハンディを背負っていました。

(1) Windows PCB ツールとしてはProtel の後発である
少なくとも1年以上のタイムラグがあったように記憶しています。
(2) 価格が高い
Protel Advanced PCB の 398,000円に対して、Tango のWindows PCB は 850,000円くらいの価格であったように記憶しています。
(3) 回路図エディタが無い
当初 セットで使用できるWindows 版回路図エディタがなくこれがリリースされるまでに1年程度かかりました。

この中で一番大きな問題はその価格設定でした。ほとんど同じようにしか見えないProtel Advanced PCB との価格差が 2 倍以上もありました。また、この80万円を超える価格設定は、ソーテック自らが OrCAD PCB と Tango PCB で築いた 598,000円の価格帯の市場を放棄し、Protel に譲りわたすという結果を引き起こすものでした。

これに対してソーテックでは、日本語化によって競争力を強化しました。また 併売していた DOS 版のPCB ツールの価格を 598,000円から 398,000円に引き下げました。そしてしばらくして、Windows 版回路図エディタがリリースされましたが、Protel との競争は依然として困難なものであったと思います。

その後、このTango のWindows 版は名前が P-CAD に変更されましたが、これも日本では裏目に出たと思います。日本では P-CAD よりも格段に Tango の方が既存ユーザも多く有名でしたので、この名称変更がすぐに売り上げに結びつくことはなかったように思います。

1999年の後半だったと思いますが、Incases 社から供給を受けた伝送線路シミュレータが、P-CAD のオプションとして1,500,000円くらいの価格で販売されたことがありました。しかしこの直後 Protel は 同じものを当時の Protel 99 に組み込み無償提供を始めました。これによりP-CAD では百万円を超えるのものがProtel では無料という、にわかには信じがたい不可解な状況が発生しました。また、このころにソーテックがキョーデンに買収され、国内の代理店業務がアクセルジャパン(通称)移管されたと記憶しています。

そして後の2000年の1月に、ACCEL Technologies 社は Protel(現在のAltium)に買収されます。その後も数年間 Tango のWindows 版は P-CAD の名称で販売が続けられましたが、現在ではProtel への一本化に向けて作業が進められており、収束に向かいつつあります。

OrCAD の記憶|機能と価格とその戦略

投稿日: カテゴリー: CAD

古くから回路図エディタをお使い方ならご存知だと思いますが、安価な DOS ベースの電子系 CAD 市場で最初に普及したのは OrCAD でした。そしてそのあと Tango、Protel が現れて OrCAD を追い、まさに三国志の状態で顧客の獲得合戦が始まりました。

まあ、当たり障りのない書き出しとしてはこんなところになりますが、実際のところ、回路図エディタに限って云えば、OrCAD のひとり勝ち状態であったことは誰の目にもあきらかな状態でした。また追う側の Tango にしても初期の製品は Protel から OEM 供給を受けたものであったため機能に独自性な無く、Protel の同じものが販売されていました。Tango はその後自社開発に切替えてラインナップを強化しましたが OrCAD の牙城を崩すことはできず、Windows 時代が訪れるまでは OrCAD の寡占状態が続きました。しかし一方、PCB レイアウトの分野に限って言えば、Tango も Protel もそれなりに検討しました。

このように OrCAD は DOS ベースの設計ツールとして、業界標準の地位を築きましたが、最初からトップブランドであった訳ではありません、また何もかもが Windows 化してしまった現在、その地位が保たれているとは言い切れなくなってきています。

薄れかけている記憶を辿り、このあたりの経過を紹介してみたいと思います。仕事には役立たない与太噺ですので、お忙しい場合には長居は禁物です。また、内容は独断の偏見に満ち溢れていますので、決して鵜呑みにはなさらないでください。

最初は追う立場のOrCAD

DOS 版回路図エディタの分野は OrCAD が一番乗りだと思っている人は多いと思います。しかしこの分野への参入は OrCAD よりも Data I/O 社の方が早く、OrCAD は Data I/O 社の回路図エディタ DASH の後を追う形でこの市場に参入しました。

Future Net というネットリストフォーマットをご存知の方は多いと思いますが、この Future Net は DASH から出力される標準のネットリスト・フォーマットです。Data I/O 社は早期に DOS 回路図エディタをリリースし、この Future Net フォーマットのネットリストで、PCB 設計プロセスにデータをわたすというスタイルを確立しました。その後 OrCAD SDT が出現しこの DASH をリプレースしましたが、その後も Future Net フォーマットは長く使われ続けられました。

もう30年くらい前になりますが、OrCAD が DASH の追撃をもくろんだ広告がトランジスタ技術誌に掲載されたことを覚えています。この広告には、DASH と OrCAD SDT の機能と価格を比べた比較表が示されていました。明らかに機能の豊富さでも OrCAD が上回っており、特に出力できるネットリストフォーマットや、標準ライブラリの数ではDASH を圧倒しいることを誇示するものでした。そして価格は数分のIでしたので、商品の競争力には10倍くらいの開きがあるように見えました。少なくともこれからは OrCAD のj時代であることを印象付けるには十分なものでした。

売れて当たり前の OrCAD の機能

OrCAD SDT はその価格の安さもさることながら、売れて当たり前の優れた機能を備えていました。一口に言って実用性の高さではどこも太刀打ちできない状態でした。

OrCAD SDT は階層回路図のサポート、20種類以上のフォーマットをサポートするネットリスト出力、豊富な標準シンボルライブラリ、使いやすいメニューコマンドなどの多くの特長を備えていました。そして当時の非力なコンピュータでも、サクサク快適に動きました。なにしろアセンブラで開発されていたそうですから当たり前といえば、当たり前でしょう。そして動作が速い上に、メニューコマンドも気が利いていました。直前に使ったコマンドがメニューの最上部に現れ、繰り返し作業の多い回路図の作成には大変便利でした。

階層回路図のサポートの重要性もさることながら、多種のネットリストのサポートは回路図エディタの汎用性を高める上で重要な意味を持ちます。なにしろ清書するだけでなく、ネットリストを次の工程に渡すことが回路図エディタの一番重要な役目ですから、相手のフォーマットに合わせることができればその汎用性は大幅に高まります。設計工程の最初に使用する回路図エディタではこのような汎用性が非常に重要であり、この汎用性の高さが OrCAD SDT が広く支持された大きな理由のひとつであるといえます。

売れて当たり前の OrCAD のマーケティング

まず、米国で 495 ドル、国内で 148,000円とう OrCAD SDT の価格の安さは衝撃的でした。以後この価格は後発メーカの価格設定に大きな影響を与え、あまりの安さに迷惑したところも多いのではないかと思います。そしてこのコスト/パフォーマンスの高さに加え、的確なマーケティングによって市場へのアプローチが行われました。

国内では、早期に NEC PC-98 プラットフォームへの移植が行われたことと、巧みな広告宣伝が OrCADの普及を加速しました。PCB エディタはともかく、回路図エディタは手持ちのPCで使えないと不便ですので、PC-98 への移植は必須条件でした。しかし、日本語化は行われませんでした。おそらく日本語化のメリットとデメリットおよび他社商品との競争力などを考え合わせると日本語化は不要な状況であったと思います。

そして驚くべきは、OrCAD の広告媒体への露出度の高さでした。トランジスタ技術誌へはカラーの見開き 2ページの広告が行われ、毎月表紙をめくったらすぐに目に飛び込んできました。また、パソコンショップの CAD 売り場やネットワーク機器売り場には、必ず OrCAD のカタログが置いていありました。当時私は浜松に住んでおりましたが、メルバという近所のパソコンショップに立ち寄ったところ、なんとこんなローカルな店にも OrCAD のカタログが置いてありました。

とにかく雑誌や専門店での大量の広告により OrCAD の露出度を上げ、ことあるごとにOrCAD をエンジニアの目に触れさせるという手法が徹底されていたように思います。これにより OrCAD がメジャーな製品であると印象付けることに成功したと言えます。一方、トレードショーへの出展は、一時期を除いては行われませんでした。おそらくこれは Face-to-Face による販売を重視しない OrCAD の販売戦略を反映したものだったと思います。

このように、売れて当たり前の機能を持つ OrCAD SDT が、売れて当たり前のマーケティングによって売れまくりました。

このように OrCAD SDT は非常に実用的なツールでしたが、多少変なところもありました。 最初、アレッと思ったのが部品を移動させるコマンドが見つからなかったことです。しかし OrCAD SDT の Block 操作のメニューには移動のコマンドがあり、一個の部品を動かす場合にも Block(グループ)化して動かすことができました。多分このコマンドを使って動かすのが正しい使い方だと思いますが、定かではありません。また、シンボルライブラリのグラフィカルエディタが大変使いにく、大抵の人はテキストエディタをつかって部品シンボルを作っていたように思います。

そしてソフトウェアのコピープロテクトも不十分なものでした。米国で売られていたこのは全くプロテクトが行われておらず、国内では OrCAD SDTⅢ以降ドングルでプロテクトされましたが、これを解除した違法なコピーも出回っていました。不謹慎な考え方ではありますが、このプロテクトのあまさが OrCAD の普及をいくらか後押ししたかも知れません。

信用調査会社によると、DOS 末期のころの日本国内での OrCAD 売り上げは、約4 億円でした。おそらくこの金額に大きな誤りは無いと思いますが、いくら人気物の OrCAD でも148,000円の回路図エディタだけではこんなには売れるわけはあちません。おそらく日本の市場規模では、回路図エディタは一ヶ月あたり 100-150本くらいしか売れないはずですので、のこりは 598,000 円で販売されていた OrCAD PCB の売り上げなのではないかと思います。おそらく OrCAD SDT と PCB が 4:1 もしくは 3:1 くらいの比率で売れて、 PCB の売り上げで半分位はかせいでいたのではないかと思います。

そこで、この OrCAD PCB がどんなに高性能なものだったかという話になりますが、はっきりいってこれはとても仕事に使用できるレベルものではありませんでした。

浜松で会社を創業したころの話ですが、当時使用していた OrCAD SDT のイメージに惑わされ、ろくに評価もせず米国版 1495 ドルの OrCAD PCB を購入しました。そしてしばらくのあいだ悪戦苦闘しましたが、結局のところ使い物にならず手放しました。

当時から、ツールを見る目には自信を持っていましたのでこれはかなりショックな出来事でした。尤もこれは、私の能力不足による誤った評価かも知れません。とにかく、OrCAD のブランドイメージに騙されてしまったというのがその時の正直な印象でした。

私はその後この反省から、ツールの評価に多くの時間を割くようになり、今では専門家を自認するようになってしまいました。

たぶん私と同じように、ブランドイメージに惑わされて OrCAD PCB を購入した人は多いのではないでしょうか?…というより、むしろこれが OrCAD PCB の普通の売れ方だったように思います。とにかく、ブランドイメージで商品が売れるというのは素晴らしいことです。しかし、598,000円という価格は非常にいい値付けだったと思います。この価格は100万円の約半分、回路図エディタとハードウェアを加えても 100万円近辺で収まりますので、手軽にPCB設計をしたい人にはとっても買いやすい価格設定でした。

OrCAD 社もこの PCB ツールの品質に問題があることを認めていたようであり、他社からOEM 供給を受けるべく、目ぼしいメーカに打診していたような形跡があります。当時 Protel では OrCAD からのこの打診を断ったようです。結局この OEM 作戦は成功せず、後の Massteck 社の買収まで、高性能なPCB ツールは現れませんでした。Massteck 買収時にはすでに Windows 時代に突入しており、それまで販売されていた OrCAD のPCB ツールは即座に Masstek の 製品(MaxEDA)に置き換えられ OrCAD Layout として販売されました。

回路図エディタのWindows 化は、社内開発によって行われたようですが、かなりリリースが遅れました。最初の OrCAD Capture R6 のリリースは、ちょうど Protel の Schematic 3(EDA/Client)とほぼ同時期で、Protelより 3年 くらい遅れたように記憶しています。開発に時間がかかった理由は、OrCAD SDT のコードがアセンブラで書かかれていたので Windows に移植することができなかったという説が有力です。いずれにせよこの遅れは Protel にとってシェアの獲得には大変幸運でした。

このころから Protel は統合化に路線を変え、一直線に突き進みはじめました、このことは OrCAD が Protel に奪われた回路図エディタのシェアを奪還するのには好都合であったに違いありません。

Windows 一辺倒の時代になってからはツールの統合指向がさらに強まり、OrCAD はこの分野で先行した Protel との競争にさらされています。どちらがその勝者であるかは申し上げることはできません。しかし少なくとも現在は、OrCAD 一人勝ちの状態でないことは確かなようです。

(OrCAD、OrCAD SDT、OrCAD CaptureはCadence Design Systems, Inc.の登録商標です)

Altium|トップブランドへの道のり

投稿日: カテゴリー: CAD

Altium Designerと歴代のアルティウム製品こちら に移転しました。

Protel の始まりと市場への浸透

Altium(アルティウム)は Protel(プロテル)DOS ツールの投入により創業し、早期に Windows ツールを投入することによって今あるトップブランドの地位を築きました。

DOS版 PCBツールで創業、Windowsで飛躍

Altium(アルティウム)の前身、プロテル社は 1985年ニック・マーティンにより、オーストラリアのタスマニアで設立されました。ニック・マーティンはタスマニア大学の依頼を受け、高価な UNIX ベースの CAD ツールの代用品とし、安価な DOS PCB ツールの開発を始めました。このツールは翌年の 1986年には製品化されオーストラリア国内だけでなく、アメリカやヨーロッパにも輸出されるようになりました。当時この DOS 製品はは米アクセルテクノロジ社(後にプロテルが買収)に OEM 供給され、主にTango ブランドで販売されていました。

その後プロテルは 1991年に Windows で動作する最初の Protel Advanced PCB の出荷を開始し、DOS製品の開発を取り止めました。以後プロテルは Windows ベースの EDA ツールの開発だけに専念し、1992年の末には Protel Advanced Schematic の出荷を始めました。そしてその後プロテルは Windows CAD ツールのラインナップの充実と統合化を実現し、短期間に Windows 統合 CAD ールの業界標準の地位を獲得するに至ります。

さらにその後プロテルは本社をタスマニアから(米国を経て)シドニーに移し上場を果たした後、アルティウムに名社名変更します。そして引き続きハイエンドツールをしのぐ能力を備えた統合 EDA ツールを安価に供給することを目標に開発が続けられ、現在その範囲は FPGA 開発や組み込ソフトウェアの分野にまで広がっています。

成功を決定付けたキーコンセプトと製品

いち早くWindows にフォーカスすることにより「高性能を、安く、使いやすく提供する」という、あたり前の目標に取り組んだという先見性が、その後のプロテルの成功を決定つけたといえます。1991年にプロテル最初の Windows製品がリリースされた当時、MS-Windows はバージョン3.0 と 2.1 のランタイムバージョンが混在して使われていた時代で、ハードウェアも i386 ベースの非力なものでした。普通の人ならとてもこれが CAD のプラットホームに使えるとは考えなかったと思います。実際のところプロテル初期の Windows-PCB は当時主流の DOS製品と比べると、動作が遅く使いづらいものであったのも事実です。それでも Windows へのフォーカスを決めたという決断からは、創業者ニック・マーティン氏の非凡さがうかがえます。

このようにプロテル Windows 第一世代の、Advanced Schematic / PCB のバージョン1.x は時代を先取りしすぎた面もありました。このためマーケットに対しては挨拶代わりになりこそすれ収益には結びつかず、プロテルの経営を圧迫しました。

1993年のプロテル Windows 版のバージョン2.x のリリース後、この状況は一変します。Windows は 3.0 が定着し CPUも i486 が普通に使われるようになります。そしてこのプロテルのバージョン 2.x では機能の改良に加え、ハードウェアプロテクトが取り払われました、そしてその結果プロテル Windows ツールは極めて魅力的な製品に様変わりし、飛躍的に売り上げを伸ばします。そしてその後の 1995年に発売され、プロテルの統合化のさきがけとなった Advanced Schematic / PCB のバージョン3 は全世界で爆発的に売れはじめます。尤もこの頃は、DOS 版のトップブランドである OrCAD に Windows製品が無く、市場に存在する唯一の Windowsツールとしてプロテルが売れて当たり前というのが当時の状況だったと思います。

バージョン3 とEDA/Client、そしてProtel 98

バージョン 3 により現在の、プロテル統合ツールの基盤が確立されたといえます。プロテルのこのバージョンは製品自体も良く売れましたがそれ以上に、EDA/Client という統合プラットホームの開発と、Schemtic、Simulator、PLD、PCB、Route という一連のラインナップが出揃った事による、技術および営業面での意義は多大なものがあります。しかし製品の実用面から見るとまだなだ PC ハードウェアが非力であり、機能よりもレスポンスの良さを求めて、プロテルの古いバージョンを使い続けるユーザも多数存在しました。

そしてその後の 1998 年には、プロテルのバージョン 4 の製品として、Protel 98 がリリースされました。これは、 バージョン 3 のプログラムを 16 ビットから 32 ビットに拡張しただけもので、機能の追加はほとんど行われませんでした。しかしこの結果、動作は安定かつ高速になり、実用性の向上を求めるユーザの大きな支持を得ることができました。またこのバージョンからプロテルの統合化への志向が強まり、回路図エディターなどの単体ツールの積極的なセールスが控えられはじめました。

実用性が向上したこの Protel 98 は、EDA/Client 環境の完成版としての評価が高く、今でも現場で使われているのを見かけます。そしてその後 Protel 99、Protel 99 SE、Protel DXP、Protel 2004 がリリースされ、さらにその後ブランドを Altium に変え、現在も進化し続けています。

日本国内での販売

現在アルティウムのマーケティングは、日本国内の常駐スタッフと株式会社エー・ディ・ティによって行われています。そしてそれ以前はアルティウムジャパン(プロテルジャパンから社名変更)、さらにその前はテクスパートがプロテルの国内の販売元でした。このあたりまでの経緯をご存知の方はおられると思いまが、それ以前にもプロテルは国内販売されていました。最初のプロテルの販売元は、イー・ティ・シーを中心とした 3社連合、次に日商岩井システック、そしてO.I.M、アルマティックと続き、その後テクスパートに辿り着きます。しかしこの間のプロテルの露出度は多くなく、プロテルがエンジニアの目にとまる機会は少なかったように思います。

プロテルがテクスパートへにたどり着いたのは1992年。Wesconで Advanced Schematic 1.0 がプロテルブースに展示されたのがきっかけでした。実質的には、プロテルの日本への上陸はこの時だったといえます。当時、時代はすでに Windows への流れを明確にしつつありました。プロテルの方向性はこの流れに沿うものであり、そのれはゆるぎの無い選択のように見えました。

このときからテクスパートはプロテルの将来性に期待し、持てる限りの体力を振り絞ってプロテルの宣伝を行います。その結果、1年あまり後に販売が開始された Advanced Schematic / PCB 2.0 からは、順調に売り上げが伸び始め、バージョン3 の末期には新規販売だけで毎月 100-150本がコンスタントに売れるようになりました。外部の CAD関係者からは見るとこの状況は、プロテルが飛ぶように売れていると映ったことでしょう。しかし、私たちにはまだその売れ行きに満足してはいませんでした。尤もこれは Windows バブルの頃の話しであり、もう二度とこんなにたくさんに売れる時代はやってこないように思います。

その後の 1998年 4月、Protel 98のリリース直後に、テクスパートからプロテルジャパンにプロテルの販売業務が移管されます。テクスパートはプロテルをベストのポジションで新会社に引継ぐ事に成功し、無事その役目を終えます。この約 3年後プロテルはアルティウムに社名を変更し現在に至ります。

このように振り返ってみると、プロテル社の創業以来すでに 30年を超えており、その間大きな変遷がありました。そして今では初期に活躍した会社もスタッフもほとんどが姿を消しまっています。しかし創業者ニック・マーチンの全てのエンジニアに「ハイエンドの機能をローエンドの価格で提供する」という意思は変わることなく引き継がれており、極めてコスト・パフォーマンスの高い CADツールが提供され続けられています

Altium の足跡

Altium Designer 14は、Altium Designer 2013 の 後継製品であり、 Protel の発売以来の続けられてきた Altium の CAD 開発の集大成でもあります。

この間 Altium は Windows CAD 先駆者として業界をリードし続けてきており、この Altium の CAD ツールの進化は Windowa CAD ツールの進化そのものであるといっても過言ではありません。

そこでその足跡をまとめてみました。

販売時期
製品・バージョン名
考備
1991 – 1993 Advanced Schematic/PCB 1.x Protel 最初のWindows 版製品
1993 – 1995 Advanced Schematic/PCB 2.x Schematic/PCB 1.x の改良版
1995 – 1998 Advanced Schematic/PCB 3.x EDA/Client 統合環境の導入
1998 – 1999 Protel 98 Schematic/PCB 3 の32ビット化
1999 Protel 99 DsignExplorer 統合環境の導入
2000 – 2005 Protel 99 SE Protel 99 の改良版
2003 – 2004 Protel DXP DXP 統合環境の導入
2004 – 2005 Protel 2004 Protel DXP の改良版
2006 – 2008 Altium Designer 6 Protel 2004の改良とブランド変更
2008 Altium Designer Summer 08 新戦略 -半年毎のアップグレード
2009 Altium Designer Winter 09 大華な値下げを実施
2009 – 2011 Altium Designer Summer 09 オンデマンドライセンスの登場
2011 – 2012 Altium Designer 10 AltiumLive ライセンス管理の導入
2012 – 2013 Altium Designer 12 Altium Designer 10 の名称変更
2013 Altium Designer 2013 Altium Designer 12 の名称変更
2013 – 2014 Altium Designer 14 フレキシブル基板対応等の新機能
2014 – 2015 Altium Designer 15 xSignal、Gerber X2 の追加
2015 – 2016 Altium Designer 16 配線クリアランスの可視化
2016 – Altium Designer 17 Active Route – 半自動束線配線

 

  • Windows 前夜 – Autotrax と Easytrax
    Protel DOS 版 PCB-CAD ツール

アルティウム/プロテルでは 1991年に最初の Windows 製品である Advanced PCB 1.0 .をリリースするまでは、DOS 製品を販売していました。

1986年に最初の DOS 製品がリリースされた後 1989 年に DOS 世代最後の製品である Autotrax に至るまでにいくつかのバージョンが存在しますが、Autotrax がリリースされるまでは日本に代理店はありませんでした。Autotrax のリリースに合わせて日本に代理店が設定されました。そして日本市場への参入に際して、IBM-PC 版だけでななく PC-98 版も用意されました。EMS がサポートされていたので大きな規模の基板の設計が可能でしたが、データ幅が 16 ビットでしたので、ピン間 3 本に基板の設計はできませんでした。

Windows 版の Advanced PCB がリリースされた後も、Autotrax は DOS Pack の名称で販売が継続されました。DOS Pack は、Autotrax と DOS Schenatc がセットにされたもので、価格は 98,000 円と大変安価に設定されていました。また、リリース直後の Autotrax にはドングルと呼ばれるセキュリティデバイスによるコピープロテクトがおこなわれていました。しかし1993 年に販売が開始された DOS Pack では このドングルが取り払われました。

また、Autotrax の前に PCB 3 という PCB ツールがあり、これが ACCEL 社に OEM 供給され Tango Series I として販売されていました。現在、このAutotrax と その直前のバージョンである Easytrax (おそらく PCB 3 と同じもの)がフリーソフトとしてアルティウム社から無償で提供されており、Altium TechDocs サイトからダウンロード できます。

そしてその後、最後の DOS 製品である Autotrax は Microcode 社にライセンスされ、Microcode 社によって Windows に移植されて TraxMaker という商品名で販売されます。このTraxMaker と Autotrax の PCB ファイルは互換性がありました。

アルティウム/プロテルでは DOS 版の開発を打ち切り、これ以後 Windows にフォーカスされることになり、1991年に世界で最初の Windows PCB ツールである Advanced PCB 1.0 をリリースします。

  • Protel Advanced Schematic/PCB 1.x
    世界初の Windows PCB ツール、初代 Protel for Windows

DOS 版 PCB-CAD の開発を打ち切った後の1991年に世界初の Windows PCB ツールとして Advanced PCB 1.0 がリリースされました。

この Advanced PCB 1.0 のリリース直後、国内では積極的には販売されず、その 翌年の Advenced Schematic 1.0 のリリースと同時に、国内での本格的な販売が始まりました。

Advenced Schematic 1.0 では、 OrCAD SDT のWindows 版というコンセプトが明確に打ち出され OrCAD ファイルを双方向に読み書きすることができました。また画面デザインも非常にセンスよくまとまっていました。しかし残念なことに、OrCAD SDT と同様、回路図上に日本語を書き込むことができませんでした。一方、これと対を成す Advanced PCB はこの頃すでに Ver. 1.5 にアップデートされていました。

Advanced PCB 1.5 では、32 ビットのデータベースによる 0.001 mil の分解能の実現と、無制限のデータベースサイズのサポートにより、極めて精細度の高い基板や大規模な基板の設計が可能になりました。しかし、パッドスタックがサポートされていないことや、Polygon Pourを同一ネットのパターン上に重ねて配置できない点など、プロフェッショナルな用途には不十分な部分も残っていました。また当時のひ弱な PC プラットフォームでは描画速度が遅く、充分なパフォーマンスを得ることはできませんでした。

また、Advanced Schmatic および PCB の双方ともドングルによりプロテクトが行なわれていましたので、IBM PC 用ドングルにアクセスできない PC98 環境では使用することができませんでした。

当時この Advanced Schmatic 1.0 および PCB 1.5 には Protel for Windows というファミリー名が与えられ、ここから 「Windows のプロテル」がスタートしました。

  • Protel Advanced Schematic/PCB 2.x
    実用性が向上した、2代目 Protel for Windows

Protel Advanced Schematic/PCB 2.x は、以前の1.x の改良版として 1994 年の 2 月から 3 月にかけてリリースされました。

新しい回路図エディタ Advanced Schematic 2.0 では、TrueType による日本語、タイトルブロックのカスタマイズ、他の Windows アプリケーションとのクリップボード経由でのコピーアンドペーストが可能になりました。また Advanced PCB 2.0 では、Porigon Pour の改良、パッドスタックのサポート、画面上でのオンライン編集機能、PADS 2000 の読み込みなどが実現しました。またリリース後まもなく、Schematic と PCB の両方ともドングルによるコピープロテクトが廃止され、なんら手を加えること無しに PC 98 環境で使用することが可能になりました。さらに、Advanced PCB から自動機能を省いた Professional PCB という名前の 大変お買得な製品もラインナップされていました。

当時の PC プラットフォームはまだまだひ弱でしたので、安定性や処理速度に不満が残りました。しかし上記のような基本機能の改良により、実用性は大幅に向上しました。

Protel for Windows 2.x は 次の Ver.3 がリリースされるまでの間、0.1 刻みの小刻みなリビジョンアップが繰り返されました。特に PCB では頻繁にアップデートが行なわれ、その結果バージョン番号は 2.8 まで達しました。またこのPCB 2.8フォーマットは、現在の Altium Designer 6でも読み書きがサポートされていますので、両者の PCB データを双方向でやり取りするこができます。

プロテル製品の販売はこの Protel Advanced Schematic/PCB 2.x のリリースによって急速に伸びました。そして、Protel Advanced Schematic/PCB 2.x は 「Windows CAD ツールのリーディングプロダクト」として、 Schematic 3 (1995 年 9 月) とPCB.3 (1997年 2 月)がリリースされるまでの間、大量に出荷されました。

  • Protel Advanced Schematic/PCB 3.x EDA/Client
    統合環境を導入した、3 代目 Protel for Windows

Advanced Schematic 3 と Advanced PCB 3 は、従来の Ver.2 の延長線上で改良されたものではなく、 EDA/Client という斬新なシステムをベースにして作り変えられた革新的な製品でした。この EDA/Client はそれまでバラバラに提供されていた複数のEDAツールを一体化するための統合環境であり、これ により異なる種類の EDA ツールを共通のユーザインタフェイスで使用できるようになりました。

従来のプロテル製品では、回路図入力と PCB レイアウトでは、別々のプログラムを起動することが必要でしたが、この新しい EDA/Client が導入されたことのより、一つのプログラムを起動するだけで、回路図入力と PCB レイアウトの両方の作業ができるようになりました。

実際に製品がリリースされたのは、Advanced Schematic 3 が 1995 年 9 月で、OrCAD Capture の最初のバージョンのリリースとほぼ同時期でした。また Advanced PCB 3 のリリースは 1997 年 2 月で、当初の予定より 1 年以上も遅れました。

EDA/Client はツールを統合するだけでなく、カスタマイズ機能も提供しています。このカスタマイズ機能によりメニューの日本語化が可能になったほか、マクロ言語がサポートされ、オルグシステムズからはこのマクロ言語を使ったライブラリプレーサが提供されました。

エディタの編集機能の改良については、Schematic と PCB ではアプローチが異なりました。Schematic 3 では編集機能の改良を最小限にとどめ EDA/Client の新機能によって新規性を創出していたのに対して、PCB 3 ではPCB 編集機能そのものに大幅な改良が加えられていました。

PCB 3 はルールドリブンのシステムに変更され配線機能もインテリジェントに改良されました。しかしその反面非常に動作が遅くなりました。当時、ハードウェアは急速に進化ていましたが、PCB 3 の重量化を補うことはできませんでした。このため描画レスポンスや安定性においては以前の Ver.2.x に一歩譲る面はありましたが、新しい統合環境が受け入れられユーザの数は右肩上がりに増えてゆきました。

なおこの PCB 3 フォーマットは、現在の Altium Designer 6でも読み書きがサポートされていますので、両者の間で PCB データを双方向でやり取りするこができます。また Protel V3 についてはまだ WEB 上にコンテンツが残っていますので興味のある方はご覧下さい。 Windoes PCB-CAD 導入ガイド  Protel V3 サポートドキュメント

  • Protel 98 と Advanced Schematic/PCB 98
    統合化への方向性を明確にした EDA/Client の完成形

Protel 98 と Advanced Schematic/PCB 98 は 1998 年 2月にリリースされた、Protel Ver.3 の改良版です。このバージョンでは、今まで独立していた Advanced Route 3 が EDA/Client のサーバとして組み込まれた事以外には新たな機能の追加は行なわれず、プログラムの 32 ビット化とバグの修正にに焦点が絞られました。

その結果、Protel V3 よりも安定かつ高速に動作するようになりました。表面的には極めて地味な新バージョンでしたがその堅牢さが受け入れられ、10 年たった今でもまだ多く使われています。

一方、マーケティング面においてはこのリリースを機に個別ツールから統合ツールへの転換が開始されました。商品名にもこの方針が反映され、統合版にProtel 98 という社名を冠した商品名が与えられました。そしてこれを主力商品とし、個別ツールは Protel 98 のサブセットという位置づけになりました。

なお Portel 98 のファイルフォマットは Protel Ver.3 から変更されていません。この Portel 98 で使用されている PCB 3 フォーマットは、現在の Altium Designer 6 でも読み書きがサポートされていますので、両者の間で PCB データを双方向でやり取りするこができます。また Protel 98 についてはまだ WEB 上にコンテンツが残っていますので必要な場合にはご覧下さい。 Protel 98 製品仕様  Protel 98 サポートドキュメント Protel 98 当時のカタログ

  • Protel 99 と Protel 99 SE
    ポータビリティの良い DDB 統合データベースが導入されたロングセラー

Protel 99 は 1999 年 4月にリリースされ、同年の 12 月に 99 SE にアップデートされた後、2005 年の 3 月末までの 6 年間にわたり販売 が続けられました。後継の Protel DXP や Protel 2004 がリリースされた後も販売が続けられた超ロングセラーモデルです。

この製品は以前の Prtoel 98 のマイナーチェンジではなく、統合プラットフォームが大きく変更されされたほか、新たに伝送線路シミュレータが追加された新製品です。

Protel 99 の統合環境は EDA/Client から Design Explorer に変更され、これに合わせて Microsoft Jet エンジン を利用した新しい統合データベースが導入されました。この新しいデザインデータベース(DDB)は全てののデザインデータを一つのデザインデータベース保存できるため、大変ポータビリティが良い反面、ファイルが壊れた場合全てのデータを失うという危険性もありました。またJet エンジンのアクセスコントロール機能を利用したプロジジェクト管理機能が備えられていました。

Protel 99 に新たに加わった伝送線路シミュレータは旧 INCASES Engineering 社の SI Workbench を組み込んだもので、現在の Altium Designer 6 と同等のものです。また、アナログ/デジタル混在シミュレータは以前用いられていた Dolphin Integration 社の SMASH から Microcode の XSpice 3f5 ベースのものに変更されました。

また回路図エディタ、PCB とも編集機能の改良は旧製品に対する上位互換が維持されており、旧製品のユーザであれば違和感無く使用できました。また部品シンボルに Unique ID 属性が追加され、デザインデータ間相互のリンクが強化されました。これにより回路図と PCB との間のデータの受け渡しがネットリストファイルではなく、Update – PCB/Schematic のコマンド操作によって行なわれるようになりました。またこの製品から、ロングファイル名と日本語ファイル名がサポートされたことも見逃せません。

そして 1999 年 12 月の Protel 99 SE へのアップデートでは、それまで要望が強かった層数の追加が行なわれ、信号層が 16 から 32、内層プレーンが 4 から 16、メカニカル層が 4 から 16 に増やされました。この 99 SE へのアップデートはマイナーチェンジとして扱われ、Protel 99 ユーザに無償提供されました。

また、この製品はライセンスがピア・トゥ・ピアでフローティングするように作られており、全てのユーザにフローティングライセンス仕様の製品が提供されました。また、統合版を購入しても Schematic/PCB 等の個別ツールのライセンスをバラバラに使用できましたので、設計者が作業を分担する場合には大変便利なものでした。

マーケティング面では、より明確に統合ツールへの方向性が打ち出されました。例えば回路図エディタの商品名は、従来の Advancrd Schematic 98 から Protel 99 Schematic に変更され、個別の回路図エディタ は Protel 99 統合ツールのサブセットとしての位置付けがさらに明確化されました。

長期間販売されたこの Protel 99 SE には極めて多くユーザが存在しますので、Altium Designer では Protel 99 SE のデザインデータベース(DDB)と個別ファイルとの互換性に対しては、磐石なサポートが提供されています。

なおアルティウムジャパンではこの製品のサポートを終了しましたが、サポートドキュメント の提供は続けられています。

  • Protel DXP と Protel 2004
    大量に投入された新技術により飛躍的な進化を遂げた革新的な製品

Protel DXP ファミリーは、FPGA ハードウェアやソフトウェア開発ツールを始めとする、有力企業の買収で取得した技術を投入して開発されました。

また Protel DXP は、洗練された統合環境である DXP プラットフォーの導入により、ただ単にツールの種類を増やしただけのものではなく、ツール間における相互の緊密な連携が可能な一体化された製品にまとめられています。しかしその一方この Protel DXP 世代では、 回路図エディタをはじめとする 個別ツールがラインナップから外されました。

この流れはその後の Protel 2004 世代にも受け継がれ、アグレッシブに開発が続けられました。そして Nexer-Protel 2004 で基板設計と FPGA ハードウェア/ソフトウェア開発ツールを一体化した統合開発環境が完成します。そしてさらに改良が続けられ、Altium Designer 6 へと進化していきまます。 Protel 進化論 – Protel 2004 と 99 SEとの違い  Protel DXP サポートドキュメント Protel 2004のサポートドキュメント

  • Altium Designer 6
    名実ともに Protel から Altium へ移行

前作の Protel DXP/2004 では、DXP プラットフォームや FPGA 開発環境の統合化などにより、プロテルツールは大きく進化しました。しかし、回路図エディタと PCB ツールの基本機能である作図や配線、そしその画面表示機能については大きくは改良されてはいませんでした。

この 作図/配線/表示機能を大きく進化させ、従来のプロテルツールとは大きく異なる製品としてブランド名が Protel から Altium に変更されたのがこの Altium Designer 6 です。

この Altium Designer 6 では、マニュアル配線に半自動モードが追加になり始点と終点だけのクリックにより、配線を完結できるようになりました。また差動ペアをサポートする配線機能が多数追加されています。さらに配線パターンにネット名が表示されるようになり、エデイターとしての基本機能が大きく進化しました。

このバージョンからは商品構成が変更され、現在の基本セットと拡張セットの形じ一歩近づきました。そしてこれにあわせて値上げが行われ、高性能をそれに見合った価格で提供するという路線にシフトしました。

この Altium Designer 6 は Summer 08 がリリースされるまでの 30ヶ月以上にわたっって販売されました。そしてその末期の Altium Designer 6.8 では新しい SD 表示機能が追懐され立体画像による PCB の断面や実装状態の表示が可能になり、メカニカル CAD と連携能力も飛躍的に向上しました。

このように、Altium Designer 6 では 大幅な改良とプランド名の変更により、名実ともに Protel から Altium はの移行が行われました。 Protel から Altium Designer へ

  • Altium Designer Summer 08
    ハイエンドを志向した、更なる多機能化と価格の上昇

このバージョンでは前作 Altium Designaer 6 以来のハイエンド志向に基づいて、さらなる多機能化が図られています。また商品構成の変更とともに値上げが行われ、拡張セットのフローティング版が、約250万円に達しました。

機能的に全く新しいものは多くありませんがそれでも Design Insight機能と呼ばれる、デザイン情報をビジュアルに取得・表示する機能や Output JOB による部品表 の PDF 出力、3D のよるオンライン DRC、Allegro の読込機能など、なかなか盛りだくさんの新機能が提供されています。またこのバージョンのリリースにあわせて Innovation Station のコンセプトのもと、 FPGA 開発環境の充実が図られました。

またこのバージョンでは、これらの新機能に加え商品構成も変更され、ラインナップは現在の、基本セットと拡張セットの 2種類に集約されました。

さらに、アップグレードのスキームにも新しくなり 1年に 2回の新バージョンの提供が約束され、これにあわせてバージョン名も”Summer 08″ となり 2008年の夏のリリースであることを直接表現するという形になりました。

そして、記憶に新しのはこのリリースの直後に起こったリーマンショックと、間接販売への移行です。今まで行われていた、アルティクムジャパンからの商品の直販は取りやめられ、全て代理店による間接販売に移行しました。 Altium Designer は “6” から “Summer 08” へ

  • Altium Designer Winter 09
    Summer 08 のマイナーなアップデート

Winter 09 は年 2回のアップグレードの約束が履行され Summer 08 のリリース後、約半年でリリースされました。しかしその内容は、期間が短かったた事もあり目立った新機能はほとんど無く、Summer 08 のマイナーアップデートに近いものでした。とはいうものの、すぐに役立つ実用的な新機能もいくつか含まれており、Digi-Key などのディストリビューターも持つ部品データーベースとのリンク機能が提供され、価格などの最新を自動的に Altium Designer から出力される部品リストに反映させることも可能になりました。

この Winter 09 のリリースでは、これに前後して実施された販売体制とキャンペーンが、衝撃的ともいえる大きなインパクトを与えました。Winter 09 のリリース直後の 2月には、かねてより進められていた間接販売への移行が終わり、 五反田にあったアルティウムジャパンの事務所が突然閉鎖されました。これはまさに晴天の霹靂でした。そして、翌月の 3月にはにわかには信じがたい 180,000円という超低価格で Winter 09 にアップグレードできる、衝撃的なキャンペーンが開始されました。このキャンペーンはどのような旧バージョンからでも定価の 10分の 1以下の価格で Winter 09 拡張セットを入手できるというもので、リーマンショックの影響による売上げの落ち込みを一気にカバーできるほとの成功を収めました。

このように、Winter 09 は価格上昇により Altium から離れかけていた旧 Protel ユーザーを一気にひき戻すバージョンでもありました。

  • Altium Designer Summer 09
    新しいライセンス認証システムの導入と大幅な値下げ

この Summer 09 でもは年 2回のアップグレードの約束が履行され Winter 09 のリリース後、約半年でリリースされました。開発期間が短かいわりには新機能が多く、メカニカルレーヤが 16層追加され合計32層に増えた他、アセンブリーバリアントにより、仕向け地や製品のバリエーションによよる仕様の違いを、単一のドキュメントに反映させることができるようになりました。

また、エディタの新機能よりも利便性に影響を与えたのは、新しいライセンス管理システムとオンデマンド・ライセンスタイプの導入であるといえます。クラウドコンピューティングを大幅に取り入れ、インターネットにさえ接続で切れば、1つのライセンスを世界中のどこにいても共用することができるようになりました。

さらに、この Summer 09 では従来の約 5分の 1という大幅な値下げが行われました。このことはライセンスが 5倍売れなければ値下げ前の売上げを維持できないことを意味し、当時それはありえないことのように思われました。しかしこれはうれしい誤算であり、意外にも売上金額は増加しました。このように Summer 09 は爆発的とも言える売上げを記録し、結果的にはこの値下げは成功しました。

またこのリリースにあわせて、安価な FPGA 開発ボードとして Nanoboard 3000が用意されました。

この Summer 09 はその後 2年半以上メジャーアップグレードは行われず、2011年の 3月まで Summer 09 pまま販売は継続されました。

  • Altium Designer 10
    クラウド技術を多用した新しいプログラム管理システムの導入

Summer 09 以降、年に 2回のアップグレードスキームは消滅し、この Altium Designer 10 はSummer 09 から 1年半以上経過した 2011 年 3月にようやくリリースされました。

高速回路に対する対応や束線配線機能などの編集機能が強化されていますが、主な新機能として充実した機能を持つドキュメント管理機能が提供されました。

またこの Altium Designer 10では、Altium Designer プログラム中に、プラグインの追加と更新のための専用ページが設けられ、プラグインの追加/削除とプログラムのアップデートを全てここで行うようになりました。この機能を利用でして、毎月アップデートが提供されるようになり、Altium Designer 12 に移行しりまでの間 18回のアップデートが提供されました。

このようなシシテムの変更により従来アシュアランスと呼ばれていた保守契約の名称が、サブスリプションに変更され、契約によって生じるアップグレードの権利が精密に管理されるようになりました。また AltiumLive アカウントによりライセンスの一括管理が可能になりました。

  • Altium Designer 12
    Altium Designer 10 の名称変更

Altium Designer 10 以降は毎月小刻みなアップデートがくりかえされようになり、新バージョンにあわせて新機能が提供されるいう従来の仕組みは消滅しました。よってこの Altium Designer 12 はAltium Designer 10 以降 18回のアップデートにより、大きく進化した事を証明するための名称変更のようなものであり、Altium Designer 10 の最後のリビジョンと Altium Designer 12 の最初のリビジョンは、全く同じリビジョンです。

このAltium Designer 12 は 2012年の 5月にリリースされた後も毎月のアッデートにより進化し続けましたが、2013年 2月の Update 25 以降は Altium Designer 2013 に名称が変更されました。

  • Altium Designer 2013
    Altium Designer 12 の名称変更

Update 25 のリリースにあわせて、名称が Altium Designer 12 から Altium Designer 2013に変更されました。これは Altium Designer 12 に移行後 7回目のアップデートとなり、この Update 25 での主改良点として以下の 6点がアナウンスされています。

  • PCB オブジェクトとレイヤ透過設定
  • ポリゴン用のOutline verticesエディタ
  • ポートの高さとフォントコントロール
  • Smart PDFドキュメントへのコンポーネントパラメータの追加
  • Microchipタッチコントロールのサポート
  • DXPプラットフォームの改善

また、この Altium Designer 2013 では値上げが行われ、3月18日から新価格が適応されました。

  • Altium Designer 14
    フレキシブル基板対応など多くの新機能

Altium Designer 14 ではフレキシブル基板のサポートや基板内に部品の埋め込みが可能になるなど多くの機能強化が行われ、レーヤースタックマネージャーがこれらの新しい基板構造のサポートしたものに一新されました。

この Altium Designer 14 はその後、14.1→14.2→14.3 とアップデートされ Altium Designer 15 がリリースされた後も更新が継続されました。また Altium Designer 14.3 ではプログラムが DVD ではなく USB メモリで提供されるようになりました。

  • Altium Designer 15
    xSignals による高速回路のサポート

セグメント単位で、高速デサインルールの設定が可能な xSignals が新に導入された他、次世代のガーバーフォーマットである Gerber X2 と IPC-2581 がサポートされました。さらに長方形角穴のサポートや Solder Mask Expansion の拡張などなど CAM 寄りの機能も進化しました。

  • Altium Designer 16
    配線中のクリアランス領域をリアルタイムに表示

3D STEP モデルが簡単に作成できる Wizard が追加された他、エンベデッドボードアレイが改良されました。また穴図に穴径誤差の記入、PADS Logic への回路図の出力が可能になりました。

  • Altium Designer 17
    Zuken(図研)cr5000インポーターを装備

BGA の束線配線が可能な ActiveRoute™ 半自動配線機能、インテジェントなベタエリア編集が可能な Dynamic Copper 機能などが追加された他、Zuken(図研)cr5000インポーターが標準装備されました。

アンビルコンサルティングのルーツ

投稿日: カテゴリー: CAD

アンビルコンサルティングのスタッフが CAD の販売を始めてから、もうかれこれ 四半世紀になります。今は Altium 専門店を営んでいますが、ここに至るまでには幾多の変遷がありました。

プロテルの販売が軌道に乗ってから数えても、20年以上経過しています。この間いろいろな製品の販売にチャレンジしてきましたが、今ふり返るとプロテルを開始してからよりも、それ以前の数年間の方が多彩で、変化に富んでいたように思います。

まず写真をご覧下さい。

1990年代始め頃のミドルクラスの製品

これらの販売から私たちの CAD ビジネスが始まりました。

この頃はほとんどが DOS ベースの製品でしたがMaxRoute だけが Wiindows (2.1)で動きました。

これは1990 年代はじめの頃の写真です。そしてここに写っているのが、私たちがプロテルを始める前の主力商品です。これを見て、ピンと来る人はかなりのベテランです。おそらく大方の人にとっては、見たことも無いものばかりだと思います。

 

この写真には、CAD システムを構成するハードウェアとソフトウェアが並んでいます。

前列には5.25 インチのフロッピーディスクが見えます。このころの外部記憶媒体としては、まだ 5.25 インチのフロッピーディスクが主流でした。フロッピーディスクはこの後、DOS から Windows への移行に合わせて、一気に 5.25 インチから 3.5 インチに切り替わったように記憶しています。後にプロテルの輸入を始めたころには、すでにメディアは 3.5 インチに切り替わっており、Advanced Scematic や PCB では、最初または初期の段階から 3.5 インチのメディアが使われたように記憶しています。

また、各製品のフロッピーディスクの前には 4 角いコネクタのようなものが置かれています。これはドングルと呼ばれるプロテクトデバイスであり、これをパラレルポートに差し込まないと、プログラムが起動しませんでした。

ここに写っている商品は、後列左から、

  1. Qualstar の MT 装置。 http://www.qualstar.com/
    これは、Gerber データを MT でやり取りするときに必要でした。1250 BPI と 6500 BPI の 2種類がありました。
  2. テクスパート製 T486 パーソナルコンピュータ。
    当時英語版 DOS ソフトウェアのプラットフォームとして安心して使用できる PC が入手しにくい状況でした。このため使用パーツを厳選して組み立てたオリジナル PC をCAD 用として提供していました。この PC ケースには当時はまだ無名であった Antec 社の製品を選びました。
  3. CRT モニター
    写真に写っているのは三洋電機製のものですが、機種の選定はお客さまにお任せしておりました。

続いて前列左から、

  1. Qualster MT 装置のドライバー/ユーティリティ(MT 装置の添付物)
  2. PADS PCB (16 ビット ソフトウェア。メーカは PADS → Mentor )
  3. MaxRoute オートルータ (メーカは Masstek → OrCAD → CADENCE )
  4. PC Gerber / ECAM (メーカは CSI → ACT → PADS → Mentor → )

これらのソフトウェアは今でこそメジャーな存在になっていますが、当時はまだ無名であり、まだこれらのソフトウェアを輸入販売しているところは他にありませんでした。ただし PADS は例外で、すでの 5 社の代理店があり混戦状態でした。

私たちはこれらの全ての CAD ソフトウェアに対して、英文マニュアルの全文が翻訳された日本語マニュアルを用意しました。当時の私たちは、日本語マニュアルの無い製品を販売するなどということは許されないことだと思い込んでいましたので、労をいとわずマニュアルの翻訳に注力しました。

しかし当時の外国製 CAD ソフトウェアでは日本語マニュアルが皆無に近い状態でしたので、翻訳の依頼や、マニュアルだけを購入したいという引き合いが数多くありました。これを受け、PADS Software 社からの依頼で、その後の PADS2000 マニュアルの翻訳も行いました。 またECAM の日本語マニュアルについては当時の大手 CADメーカ様にもご利用いただきました。

最前列に写っているのは、Omnikey Ultra と Logitech マウスです。当時のキーボードやマウスは、いかにも「コストダウンしました!」と言わんばかりのものが多く、このようなチープなものを避けると選択肢はそれほど多くありませんでした。Omnikey Ultra はAlps 製メカニカルキースイッチを使っていたのでキータッチが良く、また DIP スイッチでキー配列が変更できるなど多機能でした。また机の上で安定させるために金属のおもりが入れられているなど、他に類を見ない贅沢な仕様の製品でした。

ざっと振り返ってみましたが、この頃の PC-CAD 業界は、今よりももっと活気があったように思います。この後 Windows の時代が到来し、PC-CAD が本格的に普及しますが、CAD ベンダーの数やツールのバリエーションはむしろ、MS-DOS 全盛のこの頃の方が豊富でした。そして、私たちにとって、このような活気あふれた時期にCAD ビジネスに参入できたことは、大変幸運なことでした。

この Windiws 前夜の状況を回想録の形で以下のページにまとめてありますので興味のある方はご覧ください。

カテゴリ:CAD

この後ハイエンドを含め、業界全体がわき目も振らず Windows に向いました。